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上條岳人さんの月命日の17日、事故現場で冥福を祈る明穂さん=松本市上高地のヘリポートで |
先の冬、穂高岳の山小屋・岳沢ヒュッテは雪崩で全壊した。長年、登山者の救助に尽くした名物小屋主の上條岳人さんは、4月、交通事故で亡くなった。69歳。重なる不幸に見舞われた長女の明穂さん(42)はいま、父の後を継いで小屋を再建するかどうか、迷っている。(山田新)
同ヒュッテは56年、岳人さんの父、親人さんが建てて開業した。2年後の冬、大雪の重みで倒壊すると、高校を卒業した岳人さんが自ら材木を背負って再建した。
昨年暮れ、山は例年にない大雪だった。北アルプス南部地区山岳遭難対策協会の救助隊長だった岳人さんは、中ノ湯の登山相談所に詰めていた。12月30日に上高地まで上がると、いつも見えるはずのヒュッテが見えなかった。だが、それほど気に留めなかったという。
4月、他の小屋に荷上げするヘリコプターの情報で、小屋がなくなったことが確定的になった。岳人さんは同月17日、岳沢への登山口に、小屋が使えないことを知らせる看板を立てに行った。
その帰りに立ち寄った上高地のヘリポートで、トラックにひかれて亡くなった。
明穂さんは、小屋の経営を1人で仕切って苦労する岳人さんを見て昨年、会社勤めをやめ、経理を手伝い始めたところだった。小屋のホームページも作ろうかとも、言っていた矢先の不幸だ。
同ヒュッテは、奥穂高岳を越えて上高地に向かう足の遅い中高年登山者にとっては、いざというときに駆け込める大事な登山拠点。その後、「なくては困る小屋だ。ぜひ営業再開してほしい」という声が、山小屋関係者やなじみ客から寄せられている。
明穂さんは「できることなら、再開を考えなければならないが、私は山のことを知らない。再建となれば、場所の慎重な検討も必要だし、資金のこともある。そう簡単にできることではない」と語る。
岳人さんの妻征子さん(69)は、山小屋経営の苦労を知っているだけに、娘が後を継ぐことには反対だ。
小屋が姿を消したとき、岳人さんは「夏には売店くらいはできるよう、片づける」とだけ語ったそうだ。
「父がどうしたかったのか、分からないのです」と明穂さん。小屋の将来について迷うばかりだが、周囲と相談して決めたいという。